私は20歳からテニスコーチを始め、今年で35年間、テニスを指導させていただいていますが、テニスの指導は本当に難しいです。
私が考えている事や思っている事を中々伝える事が出来ません。
自分では自然に出来る事でも、生徒さんが同じように出来るように伝えるのは大変な事です。
35年経った今でさえ、日々格闘しています。
だからこそ、努力もしますし、それがまた、楽しみであったりするわけですが。
人間は誰一人、同じ人はいません
当たり前の事ですが、人間は誰一人、同じ人はいません。
となれば、私が伝える言葉やイメージが同じように伝わる事はありません。
これはその方の能力や素質、才能の違いではありません。
「素質があるから伝わる」「センスがないから伝わらない」と言うわけではないのです。
例えば、映画鑑賞を考えてみましょう。
同じ映画を見ても、その映画から感じる物は人ぞれぞれ、全く違います。
これはその人の興味から生まれる違いであり、その人の個性です。
このように、全ての物事は能力、素質、才能に関わらず、誰一人同じ事が伝わる事はありません。
となれば、テニス指導では、同じ説明をし、同じ練習を提供しても、違う結果が出るのは当然と言えば、当然の事です。
生徒さん達に皆、同じように伝わるならテニスの指導は簡単です。
正しい分析と分かりやすい説明をすれば、皆さんに同じイメージを伝える事が出来ます。
ですが、実際はそんな事はあり得ません。
生徒さんは皆、1人1人、違う物を感じ、違うイメージを持ちます。
だからこそ、「何をどのように伝えるか?」が非常に大切になります。
実は正しい指導は存在しない
先ほどお話ししたように人には必ず違う物が伝わります。
誰一人、同じ事が伝わる事はありません。
この事を考慮すると、全ての生徒さんを対象にした「正しい指導」が存在しない事になります。
例えば、ストロークが振り遅れる二人の生徒さん(Aさん、Bさん)がいます。
お二人ともテークバックが遅い事が振り遅れの原因だったとします。
そこで、テークバックが遅れないようにする為にアドバイスをしました。
Aさんに「△を伝えた」⇒「上手く出来た」
Bさんに「△を伝えた」⇒「上手く出来なかった」
この場合、Aさんにとって、△は正しい指導だったかもしれませんがBさんにとっては△は正しい指導とは言えないわけです。
同様にして。
Aさんに「◇を伝えた」⇒「上手く出来なかった」
Bさんに「◇を伝えた」⇒「上手く出来た」
この場合は、Bさんにとって、◇は正しい指導だったかもしれませんがAさんにとっては◇は正しい指導とは言えないわけです。
こんな事が普通に起こります。
と言うより、こうなる事が自然な状態です。
となれば、無数の方法論が「正しい指導」に成り得るわけです。
つまり「上手く出来るようになった」指導がその人にとっての正しい指導であり、少し極端に言えば「結果が出ればアドバイスは何でも構わない」という事になります。
テニスの指導が難しい一番の理由はここにあります。
長い間、私が気づく事が出来なかった事
「実は正しい指導の方法は存在しない」
私はこの事に中々気づく事が出来ませんでした。
「正しい方法と分かりやすい説明をすれば、生徒さんはきっと上達してくれる」と信じていたんですね。
ですから、いつも、「何をどんな方法で説明し、どんな練習をすれば、早く上達するだろう?」と考えていました。
ですが、今考えるとこれが間違いでした。
「どんなに正しい理論」「どんなに分かりやすい説明やイメージ」「どんなに効果的な練習方法」であっても、人には同じ物が伝わりません。
ですから、理想の方法や正しい方法を追求するだけでは生徒さんを指導する事が出来ないという事なのです。
ところが、一般的には最も正しくて、最も分かりやすい説明をすれば「後は生徒さんの能力次第。運動神経が良ければ、早く身に付き、そうでなければ、時間がかかる」
「だから、そのまま続けていれば、段々上達しますよ」と考えられています。
事実、以前は私もそう考えていました。
ちなみにこのような考え方で指導すると、その方法がとても断定的です。
「〇〇のイメージで打つと上手く出来ます」
「打点は〇〇で打つと振り遅れなくなります」
「フットワークはこう使えば、こうなります」
「ここに打てば、ここを守ります」
「こんなボールはこうして打ちます」
・・・・・・・・
ここで説明される内容を否定しているわけではありません。
確かに正しい内容である可能性が高いです。
ですが、それは生徒さんの上達にはあまり関係が無い事です。
なぜなら、どんなアドバイスも必ず一部の人だけにしか伝わらないからです。
あるアドバイスをすれば、必ず出来る人と出来ない人が出て来ます。
これは一度でもテニスの指導をした事がある人なら必ず経験しているはずです。
つまり、断定的な指導をする事は出来る人と出来ない人の両者が必ず生まれるという事でもあるわけです。
確かに、その内容が伝わりやすければ、多少できる人が増えるかもしれません。
ですが、出来る人と出来ない人が生まれる事には変わりがありません。
つまり、どちらもそれほど変わらないのです。
いずれにしても、「誰一人同じ事が伝わる事は無い」という事です。
コーチは答えを示してはいけない
では、どうすれば、生徒さん一人一人が楽しくテニスが上達出来るか?
私もまだ明確な答えを持っていません。
ただ、いくつかの大きな気づきはありました。
そのうちの一つは「コーチは答えを示してはいけない」という事です。
一般的にはコーチや指導者は生徒さんを正しく導く為に、正しい答えや目安を提供するのが役目だと考えられています。
ですが、どうもそれは違うようです。
コーチが正しいと思う答えを示せば、示すほど一定の割合以外の人は出来なくなります。
その答えがどんなに正しくて、どんなに分かりやすく説明しても、必ず出来る人と出来ない人が生まれてくるのです。
ですから、コーチは出来るだけ答えを示さない方が良いです。
ですが、こんな話をすると疑問が生まれてくると思います。
「答えを示さなければ、生徒さんは中々上達しないじゃないか?」
「答えを示さないのなら、コーチは何もしなくて良いのか?」
大きな疑問はこの二つではないでしょうか。
まず、一つ目の疑問ですが、心配する事はありません。
人間の持つ能力は素晴らしいです。
答えを示さなくても、自らでその答えを導き出す能力を備えています。
ですから、何も問題なく上達する事が出来ます。
と言うより、むしろ、答えを示さず、生徒さん自身が探し、見つける方がよっぽど早く上達します。
これは運動経験、運動神経に関係がありません。
人は誰でも、素晴らしい能力を備えているのです。
私はこの事を生徒さん達から気づかせていただきました。
では、二つ目の疑問はどうか?
確かに答えを示す事がコーチや指導者の役割だと思っている方は、答えを示さなければ、その役割が無くなると思うかもしれません。
ですが、そうではありません。
テニスコーチ、指導者の本当の役割
コーチや指導者にはとても大切な役割があります。
それは、生徒さんに疑問や興味を提供する事です。
言うなれば、答えではなく、質問を提供するわけです。
考えてみれば、これはとても当たり前の事です。
学校の勉強で、次から次へと答えが羅列され、それをただ覚えるだけで成長する事が出来るでしょうか?
そんなわけはありません。
問題を解こうと努力するからこそ、成長できるわけです。
つまり、答えには何のパワーもありません。
疑問や興味こそが人を成長させるパワーなのです。
これはテニスにも全く同じ事が言えます。
コーチや指導者は答えを示さず、そのレベルに応じた疑問や興味を提供するようにします。
そして、生徒さんには、経験からその答えを探してもらうようにします。
こうすると、誰一人、出来ない人が出てこなくなります。
それぞれ一人一人が自分なりの方法や答えを探しだし、気づくからです。
ですが、ここでまた、疑問が生まれると思います。
「その答えを自分で見つける事が出来ない生徒さんの為には答えが必要だろ?」
こんな疑問です。
ですが、その必要もありません。
生徒さんが答えを導き出せないのは、コーチや指導者が提供した、質問、疑問、興味のレベルが高すぎたのです。
簡単に言えば「小学生1年生に2年生の問題を出した」と言う事です。
つまり、この問題はコーチに責任があります。
コーチはその生徒さんが「自分で見つける事が出来るであろう問題」を見極め、提供する必要があります。
これこそがコーチや指導者に求められる役割です。
そして、また、コーチや指導者の技量、器量の違いでもあるわけです。
答えを示す代わりに生徒さん一人一人に合った、質問、疑問、興味を提供します。
すると、生徒さんは楽しみながら、自らその答えを導き出します。
その結果、生徒さんは自身の成長や可能性を自覚してくれます。
そして、自信を深めていきます。
そうなれば、テニスはさらに楽しくなります。
答えを示さず、生徒さん一人一人の興味を引き出す事は簡単ではありません。
とても難しい事です。
だからこそ、テニスの指導は本当に難しいわけです。
ですが、それだけに遣り甲斐もあるわけです。
以上が私が考えるテニス指導の難しさです。
ちなみにあなたはどんな難しさを感じていますか?